大好きだった
おばあさん
★ 2004年4月25 日(日)幼い頃からお世話になっていた おばあさんが死んだ
  胃がんだったみたいで、92歳?だった…。
  おばあさんには 本当に生まれた時からお世話になった。
  両親が共働きで、おばあさんの家が近い事も有って 保育園のお迎えや、
  保育園での行事(親子参観や運動会など)に何時も来てくれていた。
  そして 小学校の頃は 家に誰も居なかったので おばあさんの家に行き 何時も
  遊んでいた。 積み木やロボットのおもちゃ…なわとびなど、色々な遊びをして
  遊んでくれた。有る時には、ビールビンのふたをオハジキ代わりにし
  一緒に遊んだりもした。 
  時には お経も一緒にあげたり 幼い頃の夏や夏休みには、縁側で昼寝をする私に
  子守唄を歌ってくれたり、おじいさんおばあさんと一緒に畑に行ったり、梨の摘み取り
  稲刈り ヨモギ取りもした。
  幼い頃の おばあさんは ぼっちゃりしていて腰が丸かった印象が強かった…。

  保育園の頃の親子参観の時に おばあさんが来てくれ、おばあさんが帰る頃
  当時小さい 弟が 「帰りたい!」 と泣いてダダをこねた。私も 2人がいなくなるのが
  寂しくて「私も一緒に帰る!!」 と泣いてせがんだ事も有った。
  小学校の頃は 帰るとおにぎりを作って食べさせてくれたり、お菓子を買って
  食べさせてくれたり、色々としてもらった。 おばあさんの作ってくれた料理で思い出が
  有るのは カレーライスとおにぎりだた。カレーライスには 蜂蜜を入れて 子どもだった
  私たちに食べやすい様に作ってくれた。 外に出ると 歌も沢山歌ってくれた おばあさん。

  私が中学校に入ってからは、部活などで おばあさんに 会う機会が少なくなり
  高校に入ってからはもっと 少なくなった。だから 私のおばあさんの記憶は 中学校に
  入るまでの記憶しかなかった。
  小学校の6年の頃 複雑骨折をした 私を 何時も看病してくれたのが おばあさんだった
  リハビリにも一緒に付いて来てくれて 心強かった。
  「若い時のケガは治りが早いから、すぐに骨はくっつくよ♪ (o^^o) 」
  と励ましてくれたり、飲み辛いクスリ(粉状のモノ)が有り、飲みにくいと行ったら
  オブラートを買って、クスリを飲みやすい様にしてくれたり…。
  色々とおばあさんには してもらった。
  
  私が高校を卒業し東京し東京に上京してからの おばあさんの事は良く解らないが
  でも上京し3年後頃実家に帰ると、 おばあさんは以前より少しやせて小さく感じた。
  その 何年後か 痴呆が始り少しずつ 何時間前の出来事を忘れ始めていた。
  
  去年の夏実家に帰り おじいさん おばあさんに朝会い 会話をした。
  始め おばあさんは 「お前誰かいなぁ〜?」 と言っていたが…
  私が名前を言うと 「あ〜〜」 と思い出してくれたみたいだった。
  そしてお昼に 茶碗蒸とお刺身を持って もう一度 おじいさん おばあさんの所に寄った
  そして 会話をすると… 朝 私が 顔を見せた事を忘れていた。
  じょうがない… と思いつつ 少し寂しかった面も有ったが… 
  そして 私が買って来たモノを一緒に食べた。
  そして 今年の1月に実家に居た頃、よく遊んでくれた親戚のお兄ちゃんの結婚式が有り
  実家に戻った。 県外からの親戚も集まっていて、尼崎のお兄さんと2人で おじいさん
  おばあさんに 挨拶をした。
  「 私たちが小さい頃 とてもお世話になりました。 これから先も 長生きしてね… 」
  おじいさん おばあさんと 親戚(尼崎)のお兄さんと4人で話をしている時、昔の事を
  思い 私は涙した。 おばあさんを見ると おばあさんも 涙を流していた。
  その頃は、まだ 少しでも食事をする事が出来た おばあさん…。
  
  2月に入り おばあさんの体調が良く無いと言う事を 母親から聞かされた。
  そして4月に入り 病状が悪化… 何も食べれない状態になった おばあさん…
  点滴をして、毎日を送っているとの事だった。何も食べないのに 吐血もしたと言う事を
  母親から聞いた時 少し不安に思った。 そして その不安が…
  4月22日(木)弟から 連絡が有り 「何時でも 実家に 帰れる支度をしておけ。」との
  4月23日(金)心配になった 私は職場に顔をだし 実家の状況を言って帰らせてもらう事に
  バスで乗り継ぎで実家まで帰ったので 実家に着いたのが 次の日の朝の2時…
  速 おばあさんが入院している病院に向かい おばあさんに会った瞬間 私は 大粒の涙を
  流した。1月に会って話をした時の おばあさんでは無く もう やせてしまい 意識が無く
  心臓だけが動いている おばあさんを目の当たりにし 少し信じられない面も有った。
  状態は良くなる事は無いと解っていたが 少しでも長く おばあさんの 傍に居たかった私
  面会時間も過ぎていた事も有り おばあさんに10分ぐらい会い その時は帰った。
  家に帰ってからも おばあさんの事を 考えていて眠れなかった…。
  何か 出来る事を?と思い 折りづるを 病院に向かう時間まで折り続けた。
  その日の お昼から おばあさんの病状が悪化… 夜は親戚中が集まった。
  でも 少し落ち着いた?ので 母と親戚のおばさん2人を残し他の人は帰ったが 私は
  少しでも おばあさんの傍に居たくて 朝方の2時まで病院に居たが 体調が
  思わしくなかったので、家に帰った その3時間 59分(am 5:59)後に おばあさんは亡くなった。
  お通夜の時 涙が止まらなかった私… そして 葬式の時もそうだった。
  幼い頃(中学校まで)の思い出しかないが とでも 優しかった おばあさん。そして 私たちに
  色々な事を教えてくれたり、一緒に遊んでくれた。
  本当は 私が結婚するまで 生きていて欲しかった… 
  そして 私の花嫁姿を見せてあげたかった。 でも いなくなってしまった…
  葬式の時は なるべく沢山の 遺骨をお墓に入れてあげたかったと思い 私は沢山 遺骨を
  骨壷に収めた。
 
  おばあさんと 過ごした時間が 私の心の中に残っているし 私の心の中に おばあさんは
  生き続けている。だからこの先 頑張って行こうと 葬儀が終わって2,3日後 少しづつ 考えを
  変えて行こうと思い始めていた 私…
  
  
おばあさん 今まで有難う。 天国に行って ゆっくりしてね。
  そして私(達)は、この先色々な事を頑張って行くから見届けていてね…

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